野菜を摂りたい

自分の趣味について書きます

最近気になることいろいろ

今週のお題「芸術の秋」

 

何日かに分けて書いてたので内容などバラバラです。ご容赦ください。

 

私立恵比寿中学11thシングル『シンガロン・シンガソン』11/8発売。今回はiTunesで買いました。MVはYouTubeで見れるんだけど、さわやかなPOPな感じとぁぃぁぃを送る憂いな感じも伝わって良い感じ。作詞作曲がMrs.GreenAppleの大森元貴さんでついさっき出たナタリーの記事にぁぃぁぃとの対談が載ってて、ちゃんとエビ中の下調べをしてくれていて好感を持てる。てか大森さん21歳って知ってビックリ。1歳しか変わらないのか。 あと有安のソロアルバムに『TRAVEL FANTASISTA』を提供してくれたOfficial髭男dismも最近気になっていて『ブラザーズ』っていう曲好きです。まとめるとMrs.GreenApple、Official髭男dism気になってます。

 

ただエビ中の話になると、You Tubeに載ってるMVあれじゃファミリー(エビ中ファンの総称)以外見ないでしょ。確かにぁぃぁぃを送るためにその色を出すのはいいけどもうちょっと直球にかっこいいかわいいMVでも良かった気がする。1月3日の武道館行きたかったなぁー。地元帰るので行けません。 6人になっても応援します、3年間好きなので愛着や思い入れが結構あるからね。

 

 

 非常に気になる文章を見つけ出したので長くなりますが要点だけ引用させていただきました。

 リンク元http://lite.blogos.com/article/256652/

内田樹「大学教育は生き延びられるのか?」

正直に言って、日本の大学は、このままではもう先はないです。教育制度は惰性が強いですから、簡単には潰れはしません。民間企業のようにいきなり倒産するということはない。でも、じりじりと駄目になってゆく。長期停滞傾向が続いて、20年、30年経ったあたりで、もう本当に使い物にならなる。それでもまだ組織としてはもつでしょう。医療とか教育というのは「それがなくては共同体が存続しえない」本質的な制度ですから、最終的には現場にいる人たちが身体を張って守ります。

ですから、どんなにシステムがおかしくなっても、公的な支援が途絶えても、それでもなんとか持続はします。でも、それはほんとうに現場の人が命を削ってもたせているからもっているのであって、公的制度としてはもう破綻している。ブラック企業と同じでです。フロントラインに立ってる生身の人間が必死になって現場を回しているわけで、その人たちがばたばた過労死しているおかげでかろうじてシステムの体をなしている。大学もそういう状況にいずれなりますし、局所的にはもうそうなっている。

医療の世界でかつて「立ち去り型サボタージュ」という言葉が使われました。

小松秀樹さんの書かれた『医療崩壊』という本がその事実を明らかにしました。小松先生とは一度お会いしたことがありますけれど、その時に教えられたのは、「医療崩壊」というけれど、医療もやはり惰性の強いシステムなので、簡単には崩壊しないということでした。それは現場に立って医療の最前線を守っているドクターやナースは自分の健康や家庭生活を犠牲にしても医療を守ろうとするからです。

そういう「業」を抱えた人が医療の現場に立っている。だから、制度的に破綻していても、簡単には崩壊しないんだ、と。でも、生身の人間ですから、彼らのオーバーアチーブメントに頼って支援の手当をせずに放置しておけば、いずれ一人倒れ二人倒れ、前線の維持が難しくなる。そういうお話でした。

10年ぐらい前に医療で起きたのと同じことが今、大学で起こっているような気がします。教育現場で働いてる人間を支援するという体制が国にも自治体にもメディアにも市民社会にもない。逆に、公的な制度やメディアが現場の教職員たちを追いつめている。精神的にも身体的にも「まだ働き方が足りない」と負荷をかけている。

それでもなんとか現場がもっているのは、教育に関わる人間もまた医療人と同じようにある種の「業」を抱えているからです。教員という職業を選ぶ人には一定の傾向性があります。

医療を職業に選ぶ人たちと同じように、教員は学校という場が好きなんです。教室で若い人たちの前に立って何かを教えることが好きで、研究が好きで、アカデミアで異なる領域の知性と出会うことが好きで、という人が学校教育の場には引き寄せられてくる。だから、常軌を逸した負荷がかかっていても、なんとか踏みとどまろうとする。家庭生活や健康を犠牲にしても、自分の職域を守り抜こうとする。今の日本の大学がこれほど否定的環境にありながら、なんとか保っているのは、教育人たちのこの「業の深さ」のおかげです。

でも、生身の人間が蔵している生命資源は本来であれば他のことに使わなければいけないものです。一家団欒とか、文化活動とか。運動したり、遊んだり、自分の好きな研究をしたり、そういう本当にしたいことを断念して、その資源を学校の管理業務とか文科省の命じてくる意味のない作業に割かなければならない。

 

 

 

転換点は91年の大学設置基準の大綱化でした。それまでの日本の大学はよく言われる通り「護送船団方式」でした。いわゆる「親方日の丸」です。箸の上げ下ろしまでうるさく文部省が指図する代わりに、面倒は全部見る。そういう家父長制的な制度だった。

でも、大綱化によって、細かいことに関しては、大学の自由に任せようということになった。家父長的な制度がなくなって、大学が自由にカリキュラムを作ることができるようになったことそれ自体はたいへんよいことだったと僕は思います。当時も僕はこの方向性を歓迎しておりました。「自己決定・自己責任」でいいじゃないかと僕も思いました。でも、文科省が大学に自由を与え、権限委譲することに裏がないはずがない。実際にそれが意味したのは大学の淘汰を市場に委ねるということでした。

91年段階で、今後18歳人口が急激に減ってゆくことが予測されていました。60年代には250万人いた18歳人口は以後漸減して76年に156万まで減りましたが、その後V字回復して1992年に205万人に戻しました。そして、そこから減り続けた。2017年では120万人。25年間で40%減少したことになります。

大綱化は18歳人口がピークアウトして、以後急減局面に入り、増え過ぎた大学定員を満たすことが困難な局面に入るということがはっきりわかった時点で導入されました。これから大学の数を減らさなければいけないということは文科省(当時は文部省)にもわかっていました。もう護送船団方式は維持できない。文部省と大学はそれまで親鳥とひな鳥のような関係でした。親鳥はひな鳥を扶養する代わりにあらゆることについて口出しした。でも、親鳥が増え過ぎたひな鳥を扶養できない時代がもうすぐ来ることがわかった。

護送船団のロジックからしたら、ひな鳥が死んだらそれは親鳥の責任になる。こんな弱い鳥を産んだお前が悪いということになる。でも、これから後、ひな鳥はばたばた死ぬ。だから、親鳥の仕事を放棄して、「これからは自己裁量で生き抜きなさい」と言い出した。なぜ、淘汰圧に耐えられないような高等教育機関をなぜ認可したのか。なぜそこに税金を投入したのか。そういう問いに対して文部省には備えがなかったからです。

でも、それはある意味では当然のことでした。明治の近代学制の導入以来、日本の教育行政の最大の使命は教育機会の増大だったからです。国民にいか多くの、良質な就学機会を提供するか、それが近代日本の教育行政の本務だった。だから、学校を増やすことを正当化するロジックでしたら教育官僚は無限に作り出すことができた。

そして、実際にそのロジックを駆使して、国民の就学機会を増やし続けたのです。それは敗戦後も変わりませんでした。敗戦国日本は軍事力や外交力ではなく、むしろ経済力や教育力や学術的発信力によって国際社会に認知される道を進むべきだということについては国民的な合意が形成されていました。

だから、ある意味で文部省の仕事は簡単だったのです。でも、80年代になって難問に遭遇しました。18歳人口が減ることがわかってきたからです。しばらくは大学進学率の上昇が期待できるので、大学定員は満たせるだろうけれど、それもどこかで天井を打つ。そのあとは大学を減らさなければならない。

でも、文科省にはどうやって教育機会を増やすかについての理屈はあるけれど、どうやって教育機会を減らすかのロジックがなかった。護送船団方式でそれまでやってきたわけですから、自分が認可し、自分が指図して育てて来た大学に対して「お前は失敗作だったから廃校しろ」というわけにはゆかない。製造者責任を問われるのは文部省自身だからです。

そこで大学の淘汰は市場に委ねるというアイディアに飛びついたのです。強者が生き残り、弱者は淘汰されるというのは市場では自明のことです。自分の生んで育てたひな鳥を殺す仕事を親鳥は放棄して、市場に丸投げしたのです。これが91年の大学設置基準大綱化の歴史的な意味です。これは明治維新以降の教育行政の決定的な転換点でした。

 

 


大綱化というのは自由化のことだと僕は勘違いしていました。でも、そうではなかったんです。それは「どの大学から順番に淘汰されてゆくかを可視化して、市場に開示せよ」ということだったのです。

僕は大学のカリキュラムの自由化によって、それぞれ日本中の大学が、それぞれの教育理念と教育方法を持ち、それぞれの教育プログラムを編成して、それぞれ異なる達成目標をめざすということになると思い込んでいた。でも、大綱化から後、大学に求められたのは均質化・同質化でした。

「自由に競争してよい」というものの、その競争の結果出てくる優劣の差はわかりやすい仕方で表示されなければならない。それは競争することは自由になったけれど、教育や研究のあり方が自由になったわけではない。むしろそれはより不自由なものにならざるを得なかった。というのは、格付けのためには全ての大学の活動を同じ「ものさし」で考量する必要があったからです。

格付けというのはそういうことです。複数の教育機関の優劣を判定するためには、同じ「ものさし」をあてがって差を数値的に表示しなければならない。入学者の偏差値であるとか、就職率であるとか、卒業時点でのTOEICスコアであるとか、そういう共通性の高い「ものさし」を当ててみせないと大学間の優劣は可視化できない。そして、そのためにはものさしが当てやすいように教育内容を揃えることが全大学に求められることになった。

まことに逆説的なことですけれど、「好きにやってよい。その結果について格付けをする」と言われたのだけれど、よく考えてみたら「同じようなことをしないと格付けができない」以上、日本中の大学が自発的に相互模倣する他ないという倒錯的な事態が生じることになったのでした。

 

 

多様なできごとが無秩序に生起している場所でのみ、それらのうちで最も「生き延びる」確率の高いものが際立ってくる。「ランダムさのないところに新たなものは生じない」(Without the random, there can be no new thing)。これは『精神と自然』の中のグレゴリー・ベイトソンの言葉です。日本の大学教育はまさにその逆の方向に向かって進んでいる。でも、すべてが規格化され、単一の「ものさし」で比較考量され、格付けされるところからは、いかなる新しいものも生まれません。

教育の目的というのは、一言にして尽くせば、どうやって若い同胞たちの成熟を支援するか、それだけです。格付けとは何の関係もない。精密な格付けをすれば、若い人たちがどんどん知性的・感性的に成熟するというエビデンスがあるというのなら、大学からイノベーティヴな発見が次々世界に向けて発信されているというエビデンスがあるというのなら、格付けしたって結構です。でも、そんなエビデンスはどこにもありません。あるのは、大学が評価や査定や格付けにかまけてきた間に日本の大学の学術的発信力は先進国最低レベルに低下したという冷厳な事実だけです。

今、子どもたちの貧困が大きな社会問題になっていますけれど、貧困層の再生産には残念ながら子どもたち自身も消極的には加担してるんです。それは貧困層の人たちに対しては学校でも地域社会でも、「貧乏人らしくふるまえ」という強いプレッシャーがあるからです。貧しい人間は身を縮めて生きるべきだ、イノベーションを担ったり、リーダーシップをとったりすることは許されない。そういう考え方を持つ人が多数派です。そして、貧困層自身も、そういう社会観を自身のうちに内面化してしまっている。自分は貧しいのだから、楽しそうに生きてはいけない。明るくふるまってはいけない。新しいアイディアを提出してはいけない。リーダーシップをとってはいけない、そういう外部からの禁圧をそのまま内面化してしまっている。

以前、ある子育て中の母親がそう訴えていました。その人はシングルマザーで、確かに生活は苦しい。本当なら、親が貧しいことと子どもたちがのびのびと暮らすことの間には関係ないはずなのだけれど、貧しいというだけで、子どもたち自身が委縮してる。貧しい人間はにこにこしてはいけないと思っている。貧しくて不幸だという顔をしなくてはいけない。周囲がそういうふるまいを期待しているので、子どもたちはそれに応えてしまっているんじゃないか、と。

これは例えば生活保護を受けてる人がパチンコやったら許さないとか、芝居や映画見に行ったら怒るとかいうのと同じですね。主婦が子どもを保育園に預けて演劇見に行ったら、「ふざけるな」と怒鳴る人がいる。意地悪なんです。それが社会的なフェアネスだと本気で思って、意地悪をする。異常ですよ、皆さん。でも、日本はもうそういう異常な人が自分のことを「異常」だと思わないくらいに異常な社会になっているんです。

同じことが大学生自身にも起きている。低いランク付けをされると、自動的に自己評価も下方修正してしまう。あなた方はランクが低いんだから、もっとおどおどしなさい、もっといじけなさいって言われると、大学生の方も納得してしまって、おどおどして、いじけるようになる。

格付けのせいで、いじけて、怯えて、自己評価を下げて、自分には何もたいしたことなんかできやしないと思っている若者たちを今の日本社会は大量に生み出しています。そんな人たちがどうして未来の日本を支えてゆくことができるでしょう。

冒頭に結論を申し上げましたけど、とにかく日本の大学は、今行われているような仕組みを是認されるのであれば、先はないです。日本の大学は滅びます、遠からず。どこかで抵抗するしかありません。「もういい加減にしてくれ」って、声を上げるべきです。

文科省だってそんなにバカばかりじゃない。官僚の中には過去25年間の教育行政がことごとく失敗だったということを素直に認める人だってきっといると思います。でも、役人はその性として「間違えました」「すみません」とは言いません。

だから、大学側で声を合わせて言うしかないんです。国立大学の先生は立場上なかなか声を出しにくいかも知れませんけれど、でも声を出して欲しい。どうしたら教職員がイノベーティブになれるか。どうしたらキャンパスの中がもっと明るくなるか。教職員も学生も笑顔でいて、知的な刺激に満ちている環境をどうやって作るか。それについて考える事が最優先の課題だと僕は思います。

このまま手をつかねていたら、日本の大学は滅びます。

皆さんが生活を犠牲にして、命を削って、大学のフロントラインを死守していることを僕はよく存じていますし、それに対して敬意も持ってます。でも、生身の人間ですから、無理は効きません。どこかで燃え尽きてしまう。だから、燃え尽きる前に、声を上げて欲しいと思います。「もういい加減にしろ」って。ちゃぶ台をひっくり返して頂きたい。日本中の学校で先生たちが一斉にちゃぶ台返しをしてくれたら、日本の未来も大学教育も救われるんじゃないかと思ってます。どうぞ頑張っていただきたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。

(2016年5月19日、国立大学教養教育実施組織会議特別講演・サンポートホール高松にて)

大綱化により自由になると思っていた大学教育は、逆にそれによって測るものが同一のものになり均質化が進む。なるほど過ぎてなんも言えねぇ。確かに僕も今の大学の授業で面白いと思っているのはゼミのプロレタリア文学を学ぶことしかない。TOEICや留学も測りの一種となっていることに驚いた。もちろん就職先や就職率も。大学4年間を改めて無駄にできない、人と同じことをやるにも考えて動かなければいけないとこの文章を読んで思いました。少しでも大学教育に関心を持ってもらいたいと思い、この引用をさせていただきました。内田樹さんのほかの評論も読んでみようと思います。

 

 

 

 

 

 もうひとつとても良い文章だったので引用させていただきました。

 引用:重松清『流星ワゴン』解説・斎藤美奈子氏より

フランスの社会史家エリザベート・バダンテールは『XY-男とは何か』(筑摩書房

〈19世紀半ばを過ぎて工業社会が実現すると家庭は新しい相貌を帯び始めた。男性たちは一日中、工場、鉱山、オフィスなど家庭の外で働かなければならなくなった。都会に住む家族の父親と子どもとの接触は著しく減り、父親は子どもの目には何かわけのわからない仕事をしている遠い存在になってしまった。(略)その五〇年後には、世界は交流の全くない異質な領域に二分された。母親が管理する家族という私的な領域と、男だけの国である公的な職業の領域である。〉

日本でも事情はまったく同じである。ことの戦後の高度成長期以降、職場と家庭は完全に分断され、父と子の距離はどんどん離れていった。父と息子の不幸はここから始まる。家庭の中での居場所を失った父親は(A)家長としての威厳を保とうとして権威を振りかざすか、(B)愛情のある父親を演じようとして子どもたちの機嫌を取るか、極端に言えばその二つしかなくなる。一方、息子は、父の生活圏(職場)と切り離されてしまったために、自己同一化の男性モデルを父に見出すことが難しくなる。結果、最終的に残った父親像は〈近づきがたい遠い父親か、男らしくない軽蔑される父親〉の二つに一つだどバダンデールは言うのである。

父親は息子にとって、妥協を知らない近寄りがたい神のようだった。この恐ろしい男のことを後になって息子はこう言うのであろう。「僕が家の外で何をしているのか、僕にどんな仲間がいるのか、彼は一度も尋ねたことはなかったし、僕の学校の成績を心配してくれたという記憶もない。」このように、権威主義の家父長と、よそよそしい母親とに苦しんだ子どもは「並外れて愛情深い」父親になる。ところが今度は、このやさしい父親の子どもたちは彼を厳しく裁く。父親が妻の尻に完全に敷かれているように見えるからである。(『XY——男とは何か』)

まるで流星ワゴンの二人の父、チュウさんとカズみたい。

『流星ワゴン』を読む人が「身につまされる」のは偶然ではない。社会学的にも根拠のある近代の父子の典型的な関係が、描かれているからなのだ。

 

 

この小説を読んで、最後の解説を読んでみるととても納得したので載せてみました。『流星ワゴン』は父子の物語、主人公は父でもあり、子でもある。自分は会社を解雇されかけ、息子は中学受験を失敗しひきこもりに、奥さんは一日帰ってこないことなどしばしば、と家庭が崩壊し、実の父親も癌で死にかけており「御車代」をもらいに地元に帰るようになる。死のうかな、と思ったときに不思議なワゴンに拾われる。そして自分と同い歳の父親に出会う、人生の岐路になった場所へ時空を超えてワゴンが巡る、というお話である。上にも書いてある通り非常に身をつまされるのである。

自分も父親と高校3年生までまともに喋ったことはなかった。喋るとしても母親を通して言うとか、敬語使ったりしていた。なんだか恐かった、家族で歩くと後ろを気にせず一人でドンドン進む父が嫌いだった。下手すればこの物語のように僕たちの関係は一歩間違えば壊れていたかもしれない。その時に僕らをつないだのはももクロだった。父親と共通の趣味を持つことによってテレビで一緒に見たり、このこと知ってる?という風に喋るようになった。次のももいろクリスマス2017には父親と共に参戦する予定である。このように子どもからも父側からも歩み寄ることが大切なんだと自分を顧みて思う。

 

 

 

ロロ『父母姉僕弟君』

2017年11月2日(木)~12日(日)東京都・ シアターサンモール

正直、全然面白くなかった。友人からは「泣いた」と言われ、ちょっとTwitterで「ロロ 父母」と調べてみると絶賛のツイートばかりだったので期待していった。100mハードルですべてのハードルを倒しながらゴールするように僕の期待を裏切っていった。前回スズナリで上演した『BGM』は最高だったのに。まずストーリーの大筋は分かるんだけど、亀島一徳・島田桃子以外の役者の役の意味がよくわからない。現在・過去・未来が入り混じっている感じは分かるんだけどいまやっているのがどこなのかわからなくて困った。どちらかと言えば、野球よりサッカーをやってきた人間なので野球選手の名前言われてもそれだけで一気に置いて行かれる。ただ最後のシーンは野球のバットでセットの背景のベニヤの一部分を壊すと栗の木が見え、そこで雨 天球(島田桃子)とキッド(亀島一徳)再会するシーンは非常にきれいで舞台映えするものだった。という感じで初期のロロ作品をリメイクするものはもう行かないことにした。次回のKAATの公演も初期のものに大幅なリライトを加え新作として上演と書いてあるが見送る。ロロの劇団員はうまくて好きなんだけど脚本がよくわかんなければ役者は活きない。『BGM』が再演されるなら見に行くことにする。

という風な感じだったのでロロはあえて記事にしませんでした。

 

2017年見た舞台 これから見るオススメの舞台

私は東京に住む20歳大学生です。趣味は舞台見ること、ももクロなどなどです。

お金をいくら使っても20歳で舞台を見ていろんなことを感じるという経験が何かにつながると思って月3本~5本のペースで見ています。そして最近舞台を見ることにある程度余裕を持ってきたのでどこかで発信する場所が欲しいなと思い始めました。舞台以外にも興味を持っているものあるのでそのことについても書こうと思います。

同じような考え持ってる若い人いませんか笑

 

とりあえず今回は2017年1月1日から今まで見た舞台挙げていきたいと思います。

1月

ミュージカル『キャバレー』@EX THEATER ROPPONGI 

歌舞伎座『将軍江戸を去る』

『世界』@シアターコクーン

アマヤドリ『銀髪』@本多劇場

2月

劇団子供鉅人『マクベス』@本多劇場

『陥没』@シアターコクーン

『皆、シンデレラがやりたい』@本多劇場

3月

ロロ いつ高シリーズ『いちごオレ飲みながらあいつのうわさ話した』@こまばアゴラ劇場

ベッド&メイキングス第5回公演『あたらしいエクスプロージョン』@浅草九劇

『不信』@東京芸術劇場

アガリスクエンターテイメント第23回公演『時をかける稽古場2.0』@駅前劇場

ほりぶん『得て』@阿佐ヶ谷アルシェ

4月

ふじのくに⇔せかい演劇祭2017『MOON』@舞台芸術公園 野外劇場『有度』

ゆうめい『〆』@新宿眼科画廊 スペースO

5月

『新世界ロマンスオーケストラ』@グローブ座

『少女ミウ』@スズナ

シベリア少女鉄道vol.28『たとえば君がそれを愛と呼べば、僕はまたひとつ罪を犯す』@赤坂RED/THEATER

6月

劇団鹿殺し『電車は血で走る』@本多劇場

フロム・ニューヨーク『そろそろセカンドバッグ』@下北沢OFF・OFFシアター

カムカムミニキーナ『狼狽』@東京芸術劇場

7月

キャラメルボックススロウハイツの神様』@サンシャイン劇場

『ベター・ハーフ』@本多劇場

ハイバイ『ハイバイ、もよおす」@KAAT

8月

『ヤングフランケンシュタイン』@国際フォーラム ホールC

『鳥の名前』@スズナ

日本総合悲劇協会vol.6『業音』@東京芸術劇場

9月

ロロ『BGM』@スズナ

gmN゜5『豪雪』@駅前劇場

『ワーニャ伯父さん』@新国立劇場 小劇場

コノエノ!と7%竹『スタディー・イン・ニュージーランド

TAIYO MAGICFILM『時分自間旅行』@赤坂RED/THEATER 

10月
月刊「根本宗子」『スーパーストライク』@スズナ
『関数ドミノ』@本多劇場

ヨーロッパ企画『出てこようとするトロンプルイユ』@本多劇場
イキウメ『散歩する侵略者』@シアタートラム

11月

庭劇団ペニノ『地獄谷温泉 無明ノ宿』@KAAT

 

 

ここからはこれから見に行こうと思ってる、もうチケット買った舞台

 

 

ロロ@シアターサンモール

ナイロン100℃『ちょっと待ってください』@本多劇場

シベリア少女鉄道@サンシャイン劇場

 

これで以上です。適宜更新していこうと思います。

庭劇団ペニノ『地獄谷温泉 無明ノ宿』

庭劇団ペニノ「地獄谷温泉 無明ノ宿」

神奈川・神奈川芸術劇場大ホール 

2017年11月04日(土)~11月12日(日)

 

あらすじ

「むごいもんだろ。さわってみるか?」

都会から遠く離れた山里にある、名もない湯治宿。そこで人形師の親子が出会う、孤独な人々。一夜のうちに湧きだすのは、どれほど深い欲望か。地獄の名を持つ貧しい秘湯に、いま、鮮烈な光が照らされる。第60回岸田國士戯曲賞を受賞した、庭劇団ペニノ代表作の国内最終公演。

 

 

ペニノの作品は静岡で行われるふじのくに せかい演劇祭2017で『MOON』という作品を見ている。観客300人全員フルフェイスヘルメットを被って誰が誰だかわからない状態でみんなで舞台を作って行く作品。小人症の人達を使って現実感を無くし、みなで月を旅してそこから地球を見る、ふつうでは体験できないことをした。

 

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こんな感じに。笑

これが舞台芸術劇場に300人うじゃうじゃいるという。

 

 

以上のようにペニノに初めて触れたのが『MOON』なので普通の舞台でやるものはどんなものなのか気になっていた。今回の『地獄谷温泉 無明ノ宿』は見て疲れた。不思議となんか怖くなった。光がもはや照明じゃなくて自然光のようで非常に良かった。舞台美術は作り込まれていて現実なのかと錯覚するほど。あと温泉に入るシーン、男性も女性も全く隠す気がなくて覚悟を感じる。以下自分の考えを述べたいと思う。

 

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人里離れた山奥の宿にはなんらか欠けた人がいて倉田親子はそれらに巻き込まれて行く。三助が百福に、松尾が一郎に興味を持ったのはそれぞれがないものに惹かれてるのではないか。三助だったら喋れないから見ること、視覚に訴えるものとして百福の見た目、しゃべり方に強く興味を持っている。また松尾は目がよく見えないので、一郎の闇の部分を心で見ようとしている。一郎は母親がおらず学校に行かずに父である百福の人形芝居の手伝いをしていた。そしてもう気がつけば55歳になっていた。あの鬱々とした雰囲気はそこから出ているものなのだろう。人形芝居の肝である百福が可愛がるその人形は頭でっかちで手が妙にでかいものだった。どこかで見たことあるなと思ったらホムンクルスとほぼ同じものであることが分かった。

 

ホムンクルスラテン語:Homunculus:小人の意)とは、ヨーロッパの錬金術師が作り出す人造人間、及び作り出す技術のことである。

ホムンクルスは、生まれながらにしてあらゆる知識を身に付けているという。また一説によるとホムンクルスはフラスコ内でしか生存できないという。

(Wikipediaより)

 著作権怖いんで画像は調べて見てください。太字の部分の通り、フラスコ内でしか生存できない。これは暗に一郎のことを指している気がする。母もおらず学校にも行かず、父だけを頼りに生きてきた一郎と似ているのではないか。

 

 

 

 

最近、良い舞台見てるので褒めてばかりですが事実良いものばかりなので笑 今週はロロを見に行きます。結構楽しみです。

 

『散歩する侵略者』

イキウメ『散歩する侵略者

東京公演・シアタートラム10月27日(金)~11月19日(日) 

 

あらすじ

海に近い町に住む、真治と鳴海の夫婦。真治は数日間の行方不明の後、まるで別の人格になって帰ってきた。素直で穏やか、でもどこかちぐはぐで話が通じない。不仲だった夫の変化に戸惑う鳴海を置いて、真治は毎日散歩に出かける。町では一家慘殺事件が発生し、奇妙な現象が頻発。取材に訪れたジャーナリストの桜井は、“侵略者”の影を見る_。

 

2週間前に見た『関数ドミノ』で前川さんの作品を知り、STAGE LEGENDという舞台をテレビで放送する番組で『聖地X』を見て劇団員を知り、今回『散歩する侵略者』を観に行きました。

 

とても面白かった。作品を見終わったあと余韻が非常に心地良くて「概念」について考えさせられた。この侵略者たちは地球を征服するために調査をしに来た、と。そのために人間たちの持つ言葉ではなくて「概念」、その言葉に対するイメージを奪う。その「概念」を奪われた人間はその言葉とイメージが結びつかずおかしくなってしまう。「概念」は様々なものと繋がっているため、その部分がすっぽり抜けると人間は壊れてしまうということだ。

 

概念

(広辞苑より)

事物の本質を捉える思考の形式。事物の本質的な特徴とそれらの連関が概念の内容。概念は同一の本質を持つ一定範囲の事物に適用されるから一般性を持つ。例えば人という概念の内包は人の人としての本質的特徴であり、外延はその特徴を持つあらゆる人々である。

(明鏡国語辞典より)

個々の事物から共通する性質を抜き出しそれらを総合して構成する普遍的な表徴。言語によって表され、内包と外延を持つ。

 

このように複雑に絡み合う思考回路の一部を抜くという特徴を持つ"宇宙人"がある日やってきた。この物語はミクロな目で見ると、ある夫婦、この世の中どこにでも起こりうる凄惨な殺人事件、マクロな目見ると隣国との軍事対立、"宇宙人"が地球を侵略してくる、という風に見ることができる。人間の思考回路のように現実も複雑に絡み合っていて簡単には色々解決はしない。戦争もしてはいけないとわかっていながらも気がついたらせざるを得ない状況になっている、現在の日本の置かれている状況にリンクしてるように見える。

 

便宜上"宇宙人"はどんどん「概念」を奪っていく。平和、所有、自分と他人、悪魔、などなど。ネタバレになりますが最終的に奪おうとしたのは「愛」。それを奪った"宇宙人"は「愛」を知り、侵略するか否かを聞かれ、

『僕にはもうわからない』

と暗転し終わる。戦争、宗教、平和他の何よりも愛が解決するのだ。

 

 

とつらつら書いてたんだけど途中でやめちゃってなに書いていいかわからなくなったのでここらでやめておきます。とにかく今年見た舞台の中で2番目くらいに面白かったイキウメ。オススメです。

昨日見た舞台『出てこようとするトロンプルイユ』

ヨーロッパ企画第36回公演『出てこようとするトロンプルイユ』

東京公演 10月20日〜10月29日 下北沢・本多劇場

 

台風来てて雨の中本多に行き当日券に並びました。それを買ったあとよく行ってるマジックスパイススープカレーを食べに行きました。チキンカレーの涅槃、本当に美味しいから食べてみてください。よく煮てあるチキンの軟骨がうまいんすわ。あとドリンクはココナッツミルクがおススメ。

 

http://www.magicspice.net/2013shop/2013tokyo/index.html

↑リンクです。ステマじゃないです。ほんとによく行くお店です。笑

 

 

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ヨーロッパ企画を生で見るのは初めてで、前作の岸田國士戯曲賞を取った『来てけつかるべき新世界』はDVDで見て、ITと大阪の新世界という一見全く結びつかない2つをいい感じに合わせて客演の藤谷理子が出ずっぱりでいい味出してる作品で結構好きな方でした。そのあとだから今回はどんなものだろうとわくわくして見に行きました。

 

感想は端的に言うとおもしろいんだけどしつこくてつまらない。という色々矛盾がある感想になってしまった。 世界恐慌頃のパリの画家達の話で、題名にもある「トロンプルイユ(騙し絵)」を軸にしたもの。ただストーリーはほとんどないに等しい。まずおもしろいと言うのは石田剛太さん、本多力さん、諏訪雅さんの劇団員3人の掛け合いが良かった。売れない画家3人は一度議論を始めると止まらなくて最終的にはカフェに行こう、という流れがあってそれは面白かった。それでしつこいというのは1時間経ったあたりで(すいません、体感です)あるシーンを10回くらい少しずつ変化させて何度も繰り返すところがあってそこが飽きる。いや笑えるんだけどしつこいんだよね、見たらわかるんだけど。そこのシーンでほんとに眠くなってちょっとやばかったです。ストーリーは進まず、その何度もやったシーンから少し時が戻ってみんな集まって終わりみたいな。最終的な評価が自分の中ではおもしろくないになってしまう作品でした。

次のヨーロッパ企画からはちょっと行くのを慎重にならざるを得ないかな。

 

 

 

やっと台風過ぎて久しぶりに晴れましたね。やっと洗濯できてちゃんと乾きます。今週は、木曜にエビ中中山莉子の生誕祭で赤坂BLITZに参戦します。エビ中はぁぃぁぃが卒業するので応援するのやめようかなと思ってて、3年間割と追っかけてたけどなんせ売れないという。中山莉子柏木ひなたは好きなのでその2人だけチェックすることにします。

杏果ソロコン&学生祭り

 

学生祭りから帰って参りました。この金土と十分に楽しんだのでブログを書こうかな。完全にモノノフ(ももクロファンの総称)向けのブログです笑

 

有安杏果ソロライブ『ココロノセンリツ~feel a heartbeat~Vol.1.5』

東京都・日本武道館 10月20日(金) 開演18:00

(以下、セットリスト〉

1.小さな勇気

2.心の旋律

3.Catch Up

4.ハムスター

5.feel a heartbeat (ギター)

6.ありがとうのプレゼント

7.First Love (宇多田ヒカルカバー:ギター)

8.ペダル (ギター)

9.Choo Choo TRAIN (EXILEカバー)

10.Drive Drive

11.裸

12.愛されたくて

13.遠吠え

14.TRAVEL FANTASISTA

15色えんぴつ

16.ヒカリの声

EN1.教育 (ドラム)

EN2.セトリ逆再生メドレー

EN3.Another story

WEN1.feel a heartbeat 合唱

 

とりあえずペンライト問題ね。俺自身は杏果のソロライブとももクロのライブはあくまで違うものとして認識しているのでペンライトを使わないということに対して異論はなかった。ただ1曲目、2曲目では若干ついててブログとか周りの雰囲気感じてないのかなあと。せっかくの小さな勇気と心の旋律だったのでペンライトがついていない状態で見たかった。いっそのこと開演前のアナウンスでペンライト使わないで下さいと言った方がよかったんではないかと思う。

 

 

横アリのVol.0以来の杏果ソロライブ、今回でココロノセンリツというパッケージは終わりとのこと(次があるという期待を込めてこの言い方にしました)ココロノセンリツの最初と最後のライブを見れて良かったという思いが強い。ライブに必要な音響、照明、映像の総てに杏果が関わっていてVol.0よりこだわっているなと感じた。

 

やっぱTRAVEL FANTASISTA好きだなぁ。あのBメロの拍手とサビの手を振るのいいんだよなぁぁぁ。あと逆再生メドレーとやらを初めて体験したんだけどめっちゃいいね。Drive Driveのテンポ早いverや小さな勇気、心の旋律のアカペラ部分は圧巻。1人の声が一気に1万人の耳に届くって改めて考えてみるとすごいな。それは本当に感動した。

 

 

ANGEL EYES限定武道館ライブ 『学生祭り』

東京都・日本武道館 10月21日(土) 開演15:00

(以下、セットリスト)

overture

1.CONTRADICTION

2.BIRTHonBIRTH

3.桃源郷

4.オレンジノート

5.いつか君が

6.空のカーテン

7.白金の夜明

8.ツヨクツヨク

9.何時だって挑戦者

10.コノウタ

EN1.青春賦

 

前日のメールで西ゲートからの入場ということでアリーナに期待してたら本当にアリーナでした笑 B4ブロック1列目という神席引きました。ももクロのライブでいい席来たことなかったので本当にうれしかったです。

 

空のカーテン初めて生で聞いた。「図書室に並んだ言葉だけじゃ本当の痛さはわからない 始まりと終わりをいつ知るだろう 毎年春は迷わず来てくれるのに 交差点でどっちに行けばゴールなんだろう 大丈夫 さあ行き止まり そんときゃ引き返してまた始めればいい」の夏菜子ちゃんの落ちサビたまらん好きです。

あと白金の夜明けは大学受験の時聞き込んだ曲なので思い入れが強い。今年の夏のバカ騒ぎの2日目には言ってないのでここで白金の夜明けを聞けて良かった。

 

over40のアゲ曲セットリストに比べると、学生祭りのセットリストはアゲ曲少ないんだけど学生に対してカッコいいももクロ魅せたかったのかなと思う。メッセージ性が強い曲が多くて白金、ツヨクツヨク、何時だって挑戦者、コノウタの流れはそういう意図があったように思える。

 

 やっぱライブは楽しい、ももクロは現場に行ってなんぼのところある。モノノフは他に比べたら比較的秩序のある団体だと自負している。それはももクロという大きなものによって変な行動起こすなよみたいな雰囲気が笑 宗教みたいだけどももクロにハマっていくとそういう感じわかります。ってことで楽しんだ2日間でした。

 

 

昨日見た舞台『スーパーストライク』『関数ドミノ』

 

 

月刊「根本宗子」第14号『スーパーストライク』

2017年10月12日(木)~25日(水) 下北沢ザ・スズナリ

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5作品目の根本宗子。まず僕が思う根本宗子の劇の魅力は、必ずみんなどこかでこころを透かされたようなセリフがあることと、会話が飽きないことだと思う。今回もその2つが見事にあって本当に面白かった。

 

とにかく根本宗子の描く会話が好きで、何気ないんだけどいろんな要素が入っててんでかならず落ちる。今回は4人芝居で男1人、女3人で4人が同じ場所にそろって会話をする場面があるんだけど、1対1から2対1になって2対2になって3対1になる。不自然じゃなくて自然に会話の中心が人から人へ移る。この人のせいなのかなって思ってたらこっちがおかしかったのか、と。説明しずらいんだけどこれが面白いっす。

 

いつもの終わり方だったら誰かが刺されたり、死んで生き返ったり、超常現象が起きて歌って終わり、のようなものだったんだけど今回はスッと着地して終わった。それがすごい良かった。

 

はい、今オススメする一番の舞台です。演劇って「今」しかない、終わったら一気に過去作品になってしまうから。見るなら本当に今しかないんだ。

 

 

 

『関数ドミノ』

 2017年10月4日(水)~10月15日(日)本多劇場

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はじめて前川知大さんの作品を見ました。とっても興味深く面白かったです。

ネタバレになりますがすいません。

 

 

ドミノ現象:Aが起きればBが起き、Bが起こればCが起こる…といったようにある出来事が起これば、それに呼応して次々と連鎖反応が起こるという現象を指すもの

話の中心はこれです。ドミノと呼ばれる人は知らず知らずのうちに成功する。なぜかというとドミノという力を持っていてそれが倒れるように様々なことがいい方向に行く。ある人はそれを努力というが主人公・真壁(瀬戸康史)はドミノのせいだという。真壁がドミノを信じすぎていて狂っているのか、それともドミノは本当に存在するのか。という現実と妄想の針を通すような微妙なラインをついていてとても面白い。本当に実在しそうなことを取り扱っているからこそ万人に共通していて興味を惹かれる内容だった。

 

 

 

昨日見た2つの舞台はふたつとも真逆でとっても面白かった。ねもしゅーは安定の面白さ、前川さんのは新しい面白さだった。再来週にイキウメを当日券で行こうと思ってるので楽しみになりました。ただ一日に2本計4時間も舞台は見るものではありません笑めっちゃ疲れます。

 

p.s.六本木のジャンプ展にも行っていきました。2000円と割と高いと思ったんですが原画が飾ってあってキャプテン翼の翼君と日向君が一緒にヘディングしてるやつめっちゃよかった。これはお金払ってみる価値あります。